而今 jicon|木とともに今を生きる家|栃木県日光市 有限会社 丸ちょん木材 maru-chon DESIGN office

木の香りの中で育った僕が、建築の道を選んだ理由

木の香りの中で育った僕が、建築の道を選んだ理由

僕は、檜を専門に扱う材木問屋の次男として生まれました。二人兄弟で、兄は昔から「自分が家業を継ぐ」と決めていました。だから僕は、材木屋を継ごうと思ったことは、実はそれほどありません。

でも不思議なもので、家業を継がないと分かっていても、「木から離れて生きていく」という感覚もありませんでした。それはたぶん、僕にとって木があまりにも身近な存在だったからだと思います。

父の仕事は、山から丸太を仕入れ、それを製材して柱にしたり、化粧材にしたりする仕事でした。扱っていたのは、主に檜です。子どもの頃から父について山へ行くこともありましたし、製材工場にもよく出入りしていました。

大きな丸太が製材機にかけられ、一本の柱になっていく。製材された木材を現場へ運べば、今度は大工さんたちがそれを刻み、組み上げていく。今思えば、僕は子どもの頃から「木が家になるまで」を、ごく自然に見て育ったんですね。

だからでしょうか。将来自分も、何らかの形で木に関わる仕事をするんだろうな。そんなことを、漠然と思っていました。兄が材木屋を継ぐ。だったら自分は、その木を使って建物をつくる側へ行こう。「それなら建築だな」——最初は、そんなシンプルな発想だったと思います。

国産檜の材木

木造建築の現場で感じた、最初の違和感

学校を終え、周りのみんなが就職していく時期になり、僕は建築の世界へ入りました。設計からではありません。まずは現場から覚えたかった。木造住宅が実際にどうやってつくられていくのか、自分の目で見て、手を動かしながら覚えたかったんです。そして、ある工務店で約8年間、建築の仕事を学びました。

ただ、建築の世界へ飛び込んですぐに、僕には一つ大きな違和感がありました。僕が子どもの頃に知っていた「木の仕事」と、住宅の建築現場の空気が、あまりにも違ったんです。

僕の中では、木造住宅というものに、もっと自然で健康的なイメージがありました。木の香りがして、職人が木を刻んでいる。そんな環境で家をつくる仕事は、きっと気持ちのいい仕事なんだろうと思っていました。ところが、実際の現場は違いました。

合板を切れば細かな粉じんが舞う。石膏ボードを加工しても粉が出る。接着剤を使った建材もたくさんある。職人さんたちが、粉じんの中でむせながら作業していることもありました。「木造住宅なのに、なんでこんななんだろう」——それが、僕が建築の世界で最初に感じた違和感でした。

製材工場に入ると、檜の香りがします。丸太を挽いたばかりの、あの何とも言えない香り。工場にいるだけで、気持ちが落ち着く。深呼吸したくなる。そんな場所でした。僕は木の香りには、人をほっとさせる何かが本当にあると思っています。

一方で、同じ「木の家」をつくっているはずの住宅現場では、粉じんが舞い、接着剤を使った材料が当たり前のように使われている。当時の僕には建築の知識も十分ではありませんから、「住宅って、こういうものなんだろうな」と思うしかありませんでした。それでも、その小さな違和感だけは、ずっと自分の中に残っていました。

初めて、自分で家をつくる

8年ほど現場で修業し、少しずつ建築というものが分かるようになった頃、同級生が家を建てることになりました。そこで、「じゃあ、俺がつくってみようか」という話になったんです。

ただ、その頃の僕はまだ建築士の資格を持っていませんでした。ですから、設計については知り合いの設計事務所にお願いしながら、僕がこれまで現場で学んできたことをできる限り形にしました。そして、子どもの頃から木を見てきた自分なりに、できるだけ合板などに頼らない家をつくりました。

完成した家を、友人はとても喜んでくれました。今でもそこに住んでくれています。そして今でも、会えば感謝の言葉を伝えてくれる。これは建築を仕事にしていて、本当にうれしいことの一つです。

家は、完成したときだけ評価されるものではないと思っています。10年、20年と住んだ人から、「この家を建てて良かった」と言ってもらえる。それこそが、家をつくる人間にとって一番大切なことなのかもしれません。

丸ちょんデザインオフィスの施工事例

「自分で設計しなければ、自分の家はつくれない」

その後、別の友人からも家を建てたいという話をもらいました。そのとき、僕の中で一つの気持ちがはっきりしました。「また設計を誰かに頼むのか?」

もちろん、設計をお願いすること自体が悪いわけではありません。ただ、自分の中にはすでに、「こういう家をつくりたい」という考えが生まれ始めていました。木をどう使うのか。どんな材料を選ぶのか。そこで暮らす人に、どんな空気の中で生活してもらいたいのか。

自分が現場で学んできたこと、材木屋の息子として子どもの頃から感じてきたこと。それらを全部、自分の責任で一軒の家に落とし込みたい。そう考えたとき、「だったら、自分で設計できなければ駄目だ」と思ったんです。

そこで二級建築士の資格を取りました。僕にとって設計の資格は、肩書きが欲しくて取ったものではありません。自分が本当に建てたい家を、自分自身で考え、形にするために必要だったんです。

「無添加住宅」という言葉との出会い

自分で設計するようになってからも、最初に建築現場で感じた違和感は消えませんでした。なるべく合板を使いたくない。なるべく人工的な材料に頼りたくない。そう思いながら家をつくっていました。でも、完全に排除する方法までは分からなかった。

そんなとき、材木関係の仕事をしている方から、「無添加住宅ってどうなんだ?」と言われました。そのとき僕は初めて、住宅に対して「無添加」という言葉を意識しました。食品なら無添加という言葉は分かる。でも、住宅に無添加?「それ、面白いな」と思いました。

調べていくと、僕がずっと現場で感じていた違和感とつながっていきました。合板をできる限り使わない。ビニールクロスに頼らない。表面だけ木のように見せたシート貼りの建具や建材ではなく、本物の素材を使う。窓枠も、巾木も、見えるところだけではなく、見えなくなるところまで考える。「これだ」と思いました。

子どもの頃、父の製材工場で感じていたあの空気。檜を挽いたときの香り。本物の木に囲まれたときの心地よさ。僕が建築の世界に入ったときに失われているように感じたものを、もう一度住宅の中に取り戻せるかもしれない。そこから、僕の家づくりは大きく変わっていきました。

見えなくなるところにこそ、本物を使いたい

もちろん、最初から簡単にできたわけではありません。本物の材料を使えば、手間もかかります。コストもかかります。当時は利益や収益なんて言っていられないような部分もありました。

それでも、「ここで変えなければ、自分が建築をやっている意味がない」という思いがありました。幸い、父や兄の協力もありました。床も檜。下地にもできる限り合板を使わない。完成すれば見えなくなってしまう場所にも、できる限り本物の木を使う。

住宅というのは、完成すると下地の多くが見えなくなります。だからこそ、僕はそこが大切だと思っています。見えないから何を使ってもいい、ではない。むしろ見えなくなるところに、その建築会社の考え方が出るんじゃないか。

僕の建築の原点は、たぶん「檜の香り」です

振り返ってみると、僕が建築を始めた理由は、決して壮大なものではありません。材木屋の次男に生まれた。兄が家業を継ぐことになっていた。自分も木に関わる仕事がしたかった。だから建築を選んだ。始まりは、それだけです。

でも、建築の現場に入って違和感を持ち、自分で家をつくり、設計を学び、無添加という考え方に出会った。一つひとつの経験がつながって、今の自分の建築になりました。

空気が澄む家 宇都宮の総ひのき豪邸

僕は、住宅は単なる「箱」ではないと思っています。人はそこで毎日ご飯を食べ、眠り、子どもを育て、歳を重ねていきます。人生のとても長い時間を、その家の中で過ごします。だったら、見た目や性能だけではなく、「そこで、どんな空気を吸って暮らすのか」ということまで、建築する側が考えるべきではないか。

今の僕が、素材や空気にこだわる原点は、そんなところにあります。そして、もっと遡れば、僕の建築の原点は、子どもの頃にいた父の製材工場なのかもしれません。丸太が製材機を通り、一本の檜の柱になっていく。工場いっぱいに広がる、挽きたての檜の香り。あの空気を知っているからこそ、「家の中も、こんな空気だったらいいのに」と思った。

僕が今も木を使い、素材にこだわり続けている理由は、案外そこにあるような気がしています。建築を始めてから、いろいろなことを学び、考え方も変わってきました。断熱や気密、換気、空気環境——今では、素材だけでは良い住宅にならないということもよく分かっています。けれど、その話はまた別の機会に。

まず僕の家づくりは、一人の材木屋の息子が、「木を活かした仕事がしたい」と思ったところから始まりました。そして今でも、その根っこの部分だけは変わっていません。

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